悲しい歴史をもつ繁華な街・三条河原

かつては処刑場だった京都・三条河原で422年前、悲惨な事件がありました

豊臣秀次の墓瑞泉寺1708
三条大橋たもとの瑞泉寺には関白・豊臣秀次と妻、側室、子どもが弔われています

江戸時代初めまで鴨川の川幅は広く中洲だった場所です
文祿4(1595)年8月2日、秀次の一族39人、女、幼児までが次々と公開処刑されました
秀次は謀反の罪で秀吉の命により7月15日高野山で切腹、さらし首にされていました
復讐を恐れての一族絶滅という非情の行いの数年後、豊臣家は衰退します

私欲のための理不尽な行為が破滅を招くことは歴史が教えてくれます (o´_`o)


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motoyuki majima

Author:motoyuki majima
真島元之/真島元之建築設計事務所
京都市生まれ
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